エピクロスの楽園

折角の人生、楽しく生きようぜ??

自己紹介と自分なりの生き方

私は何のために生きてるんだろう。何で私はこの世に産まれて来たんだろう……。そんな事考えたって無駄だって分かってるけど、でもちょっと鬱るたびにそんな疑問に思考を支配される。パブロフの犬じゃないけど、鬱ると存在意義について煩悶しちゃうような思考回路が私の脳内に形成されちゃってんだろうなって苦笑い。結局私はこの問題からなかなか逃れられそうにない。あぁ、この世はなんて無情なんだ……。

 

なんて嘆いてみただけでは、現状は何も変わらない訳で。

 

ただまぁ、「幸せに生きたい」という願いは大体の人間が共通して持っているものだろう。私みたいに「不幸な私万歳!!」とか言ってる人間でもない限り。だって幸せな自分とか想像出来ないんだもん。多分みんなが思い浮かべる具体的な幸福像として結婚があるんだろうし、私だって愛する人と家庭を築くってとても幸せな事なんだなぁとは思うけれど。でも現実問題、メンヘラ且つニューハーフ且つAセクシャル(恋愛感情がない人間のこと)な私がそんな愛する人を見つけられるとは到底思えないし、もし仮に見つける事が出来たとしても、その人と円満な関係を築き上げる事は不可能に近いと思う。

 

私の人生、上がったり〜↑↑

 

だから幸せなんて大層なものを追っかけるのは止めて、今この瞬間の楽しさを全力で追求してやろうと私は思っているのだ。まぁ私ってめっさネガティブで無気力な人間だから行動出来る事なんてたかが知れてるけど、それでも私が今その瞬間をちょっとでも楽しいと思えれば、私はそれで満足なのだ。

 

なんて前置きはここまでにして、そろそろ私の自己紹介に入ろうかなぁと思う。私個人に興味を持ってくれとは言わないけど、せめて「ふーん、こんな奴も居るんだな」程度に思って頂けたら幸いだ。

 

私はあと三ヶ月程で二十二歳になる大学生だ。一浪したので学年は3年生。都内の某難関私立大に通っている……なんて言うのは少し気障っぽいだろうか。

 

ブログ自体は初めてじゃないけど、こんだけ本腰入れてやるのは初めてかな。今までやってたやつは超気まぐれ更新だったし。あ、メンヘラ.jpの方にも記事を投稿してるから、良かったら見てみて欲しい。

 

menhera.jp

 

私の出身は熊本県のド田舎で、中学校を卒業するまでほぼ同じメンバーと共に青春を過ごした。重度のコミュ障だった私も、その頃は幼馴染たちに助けられつつ、どうにかこうにかそこそこ充実した日々を送っていたのだ。ただまぁ、今考えてみれば、当時の私は全く世間を知らなかったんだなぁと思う。自宅にあるのはオンボロのパソコンだけで使うのも一苦労だったし、当然携帯なんて持って無かったし、情報の入手法と言えばテレビで流れる情報番組と図書館で借りる本くらいのものだった。今ではニューハーフと化した私だけれど、当時の私はLGBTという概念すら知らなかったし。

 

そんな状況が一変したのは、私が卒業祝いにスマホを買って貰っててからだった。

 

私の世界は、スマホによって爆発的に広がった。世界はこんなに大きかったのかと心底驚いた。今まで知りえなかった情報、そして日本の反対側に住んでいる人たちとも簡単に繋がる事が出来る。何ていうか、もう一度世界に生まれ直した気分だった。私がスマホを使う度に、今まで知り得なかった情報の数々が濁流のように流れ込んで来て、私の頭の中で渦を巻く。そうして暇な時間の全てをスマホに費やし、情報の海に揉まれているうちに、私の中である変化が起きていった。

 

……私のアイデンティティが、崩壊し始めたのだ

 

私は昔から人に流されやすい人間だった。今振り返れば、今まで私がやってきた習い事とか部活とか、或いは趣味とかって、全部周りの人間からの影響なんだよなぁ……。自分で何かを選択したのって、多分私が上京を決意した時くらいのものだと思う。私は元々自我が希薄だから、周りの人間からコントロールされていた方が楽なんだよね。

 

 

そんな私だから、私のもとに流れ込んできた大量は、全て私の構成要素として吸収していったのだ。私はぺドフィリアになったりゲイになったり、はたまたとあるキャラクターに完全になり切ったりした。そのうちに、段々自分というものが何なのか分からなくなっていった。信じられないかも知れないけど、当時の私は自分の主観すら分からなくなって、気付いたらなり切ったキャラクターの視点からしか物事を見られなくなったり、或いは分裂した主観が一つの事柄に対して複数の意見を言い合って、一体どれが本当の私なのか分からなくなったりしたんだ。

 

そんなアホみたいな状況からは数ヶ月で脱却出来たけど、結局私は自分像というものを全く見い出せないまま、数年程もがき苦しむ事になる。

 

そんな折に、私は漠然と「女性になりたい」という思いを抱えるようになっていた。

 

思えば中学時代から、男として扱われる抵抗感みたいなものはあったのだと思う。「お前は男なんだから」とか「○○しろと、男だろ?」みたいな言い方を、私は死ぬ程嫌悪していた。高校生になって半年ほど経った頃には、私は自分の中の男性性すら嫌悪するようになっていた。そうして私は、生まれて初めて女性ホルモンに手を出した。通販で買った、エストラジオールの錠剤。まぁ結局、服用は一週間程度で止めてしまったのだ。ニューハーフという異端として生きてゆく覚悟なんて、当時の私には無かったのだ。

 

アームカットを始めたのは、私が高校二年生の時だった。ハンズマンで買った電工ナイフで、躊躇いながらも二の腕を切りつけたあの日。いざやってみれば、これはいいストレス解消法だった。自分の身体を傷つける度に満足感を抱いた。二の腕についた赤い筋を眺める度にうっとりした。自傷行為を批判する人間が私には理解出来ない。だって、誰にも迷惑なんてかけてないんだよ??

 

キレる度に周りの食器やら何やらを投げつけて家中をひっちゃかめっちゃかにしていた父。彼に比べると、私のストレス解消法は非常にスマートなものに思えたのだ。

 

高校二年、三年と進級するにつれ、私のメンタルはどんどん悪化していった。クラスでの私は完全に孤立し、私の挙動もどんどんおかしくなっていった(実は私はADHDなのだ)。自分が全然コントロール出来なくなって、自己嫌悪は加速するばかり。そんな精神状況で受験勉強に身が入る訳もなく、私はめでたく浪人した。

 

浪人して益々メンヘラ化していた私だが、とある教師の影響を受け上京する事を決意する。このまま地元に留まっていてもダメだなぁと漠然とながら思ったのだ。と同時に、自分が理系としてキャリアを積むのは無理だと諦め、有名な文豪やら死体写真家を輩出していて何か癖がありそうだなぁと目を付けた慶応文学部の過去問をチラッと見た所面白そうだったので受けたら受かっちゃったからやっほーいと上京して今に至る。

 

さて、話を私のアイデンティティについてに戻そう。

 

 自分像が分かんないとか言ってヘラってはいたけど、結局そんなの分かってる人の方が稀有なんだよね。じゃあ私の場合何が問題だったかって、そりゃあ私が下手に女性化に踏み切って自分の性自認すら曖昧になったのが原因な訳で。性自認って結構重要なアイデンティティだと思うんだ。だって大抵の男子って自分の性器切られるのすっごく嫌がるでしょ。史書を書いた司馬遷は死罪か宮刑か選べと迫られて宮刑を選んだけど、それって宮刑がそれだけ屈辱的なものだったって事の裏返しじゃん。

 

私は女性化に踏み切る前からそういう恐怖が理解出来なかったから、最初から私のセックスは私のアイデンティティに殆ど影響を与えてなかったって事なんだろうけど。

 

そんな私でも、生まれ持った性別を捨てるというのはかなり重要な決断だった。浪人中再び女性ホルモンを服用し始めた時はかなり自暴自棄にもなってたけど、上京して顔つきや身体つきも変化してゆくにつれ、いずれ私も女として暮らしてゆくんだろうなって……

 

……思っていたのが大学一年生の冬くらいまでの話。

 

今の私は女として暮らす気など更々ない。段々と女性化が進むにつれ、私は純女との差異をまざまざと実感するようになった。どれだけカタチを近づけた所で、彼女たちと私は明確に異なる生命体だという事。私は子供を産めないし生理も来ない。ていうかそもそも、純女と私を比べると、私はやっぱり「男っぽい」。

 

女性の社会にずっと憧れていたけれど、私が無理に入った所で、私が惨めになるだけだった。結局私は男として生きる方がずっと楽なのだ。

 

今でも自分のアイデンティティなんてよく分からないけれど、でも、そんなものは分からないままでいいと思うのだ。私は曖昧なままでいい。自分像が曖昧だから、将来の事とかこれからの目標とかについてなんて全然考えられないし、想像もつかないけど、私はもう、そんなよく解らないものについて考える事はやめた。

 

私にあるのは、この今、現在だけなのだ。

 

今、この瞬間を楽しく生きる事だけが、私の唯一の生きる目的なのだ。

 

未来の事についてクヨクヨ悩むのは馬鹿らしい。だって、未来なんていずれ勝手にやってくるものでしょう? ちょっとだけ努力すればちょっとはマシは未来になるかもしれないし、何もしなければドエライ未来しか得られないだろう。でも努力は必ず報われる訳じゃないから、運が悪ければ余りにも理不尽な未来しか得られないかもね。でも、たとえやってきた未来がどんなに酷いものであったとしても、私たちに出来るのはそれを受容する事だけじゃん。

 

努力する人間は美しいと私は思う。だってそれは、私がし得ない事だから。私は物事を程々にしかこなせないし、何かに対して真剣に打ち込もうとしてもすぐに飽きてしまう。私にとって世の中はどうでもいい事ばかりで、そんなどうでもいい事に力を向け続けるのは、とても疲れる事だから。

 

だけど、私は努力する事は必ずしも正しい事だとは思わない。程々に生きてたっていいじゃないか。努力は言わば、カジノのコインを増やすようなものなのだと私は思う。努力してる人はいっぱいコインを持ってるからそれだけ当たりを引ける確率は上がるだろうし、努力を諦めた人はあんまりコインを持ってないから、そもそもプレイ出来る回数すら限られるだろう。

 

程々で、いいじゃないか。適当に生きてたって、いいじゃないか。

 

 

今この瞬間をのらりくらりと行きつつ、自分が少しでも楽しめるようにちょっと一工夫してみる。大志なんてないし夢や希望なんてとっくに失くしちゃったけど、私はそんな生き方を恥だなんて思わない。

 

生きたいように生きりゃいいのよ、どうせ世の中に正しい事なんてありゃしないんだから。五月蝿い大人の言うことなんて聞かなくていい、自分にとっての正しさを決められるのは自分しか居ないんだから。

 

だから、私はまだ生きてます。死にたいと思う事もあるけど、私はまだ人生を諦めたくないから。

 

 長々と書いちゃったけど、私が今回言いたかった事は以上です。これから出来るだけ毎日ブログを更新して行こうと思ってるけど、まぁ今日ほど長い記事を書く事はないと思う(笑)

 

 

内容は、今回みたいなメンタル的な話とか、日常生活を送りながら感じた雑感とか、あとたまに気に入った本やグルメの感想なんかも書くかもって感じか。あんまりジャンル制限してもすぐにネタ切れしちゃいそうだから、程々にやんないとね、程々に。

 

 

最後に、このブログの元ネタにもなってるアナトール・フランスの「エピクロスの園」の抜粋を載せて、記事を締めようと思う。

 

 

人生はかのやさしいフロリアンの作中に出るアルルカンのようなものである。ある者は人生を赤いと見、他の者は青いと見るが、いずれの見方も正しい。人生は赤いものでもあれば青いものでもあり、要するにあらゆる色を呈するものだからである。

 

※フロリアン:フランスの寓話作家。
アルルカン:カラフルな衣装を着た道化師。

 

 

 

 

 

 

 

皆さまの人生が、少しでも楽しいものにならんことを。

 

 

では、また。

 

 

 

 

 

 

 

 

追伸--幾つかのリンクの紹介。

私の過去ブログ

性別迷子の毒吐き場

 

小説家になろうのページ

https://mypage.syosetu.com/303238/

 

PVのトラウマ度がハンパないお気に入りのやつ

キズ 5th SINGLE『0』[Restricted ver.] - YouTube

 

もしお暇なら、ちょっくら覗いてみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

にほんブログ村メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村メンタルヘルスブログ性同一性障害(MtF・MtX)へ
にほんブログ村

follow us in feedly