エピクロスの楽園

折角の人生、楽しく生きようぜ??

醜形恐怖と整形について

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おいーっす、皆の衆。

 

みんな、自分の顔は好き? 私は微妙。好きって思える時もあれば、見れば見るほど嫌悪感がむくむく湧き上がって死にたくて堪らなくなる時もある。

 

 

だって顔って見る角度や光の当たり方で見え方全然違うじゃん。私の場合、正面から見たらまだマシなんだけど、横顔になるとかなりのブスになる。昔バイトしてたコンビニでお客さんに「あんた、綺麗な顔してるなぁ」とか言ってテンション上がってても、バイト後店を出たら近くの和菓子屋に映った自分の顔がミュータントにしか見えなくて思わずガラスをブチ破りたくなったりとか。だから、今自分がどんな風に見えてるのかとか、ひょっとしたらかなり醜い感じになってるんじゃないかとか、一度気にし始めたら全然キリがない

 

 

「そんなこといちいち気にしたって仕方なくない?」なんて言う人もいるだろう。ていうか、そっちの方がむしろ多数派なのかもしれないけど。

 

 

……気にしないで済めばどんなに楽になるだろう、とは思うんだけどね。

 

 

醜形恐怖症は、DSM-5において「強迫性障害関連症群」に含まれている。要するに、「自分がどう見えているのか仕方ない」なんていうのは強迫観念の一種であって、自分でコントロール出来るものでは無いんだよね。私の場合、街角で大きな窓ガラスなんかを見かけるとそこで自分の姿を確認を気にしないと気が済まないし、スマホを弄るフリして画面に映った自分の顔を気にすることなんてしょっちゅうである。そうして、大して変わりはしないのに、少しでも自分をマシに見せようとして前髪を弄りまくる。

 

 

出かける時にカーブミラーで自分の顔をちらっと見たらすっごくブスで、いたたまれなくなって家に逃げ帰った、なんてことも結構ある。

 

 

私にとって地獄なのが、風がやたらと強い日。私は目や額が特にコンプレックスが強いので、普段は前髪で目元まで隠してるんだけど、強風の日は前髪がぶわーっとなって全部見えちゃうからもう大変。まともに外で歩けないし、外にいた時風がいきなり強くなったりしたらメンタルが即死する。そのまま成仏してこの世から消えてなくなりたくなる。いつまでこの肉体に縛られ続ければいいの、なんてどこぞのスピリチュアリストみたいなことも思ったりする。

 

 

「周囲から見られる自分」というものを常に意識せずにはいられない。いい加減、大学の授業でリアクションペーパーを提出して他の生徒の間をすり抜けて教室から出るたびに顔引きつっちゃうのはどうにかしたいもんだけど。

 

 

……この「病気」、果たして治せるものなんだろうか。

 

 

整形手術、というものがある。私は当初は整形嫌いの母の影響で(「整形なんてどうせ辞められなくなって失敗する。マイケル・ジャクソンみたいになりたくなければ手を出すな」が母の口癖だった)、整形に対してはいいイメージを抱いていなかったけど、色んな人々が「整形して良かった」なんて口にしているのを聞いて、整形って決して悪いものではないんじゃないかなぁと思い始めた。

 

 

勿論、整形すれば幸せになれる、自分にコンプレックスを抱かずに済んで人生楽になれる、なんて単純なものではないと思う。私みたいに自分な対するコンプレックスが非常に重い人間は、整形した所で自分の顔に満足出来る事はないだろうし、「もっと綺麗に、もっと綺麗に」と取り憑かれたように整形を繰り返し、結果大変な事になってしまいそうな気はする。それこそマイケル・ジャクソンみたいに。

 

 

でもさぁ。失敗を恐れて何もしないより、少しでも自分のコンプレックスを緩和出来た方がマシに決まってるじゃんね。

 

 

私が高校生の頃、私の症状は今以上に重かった。当時の私は家の外にいる時は絶対にマスクを外さなかったし、唯一マスクを外すしかない昼食の時は、教室の隅で掻っ込むように弁当のおかずを片付けていた。相変わらず前髪を目が隠れるくらいまで伸ばして徹底的に自分の顔を隠していたけど、それでも自分の醜さが漏れ出ているんじゃないかと怯えていた。

 

 

人が密集する電車なんて、まさに恐怖の象徴でしかなかった。でも地元から高校に通うには電車を使うしかない訳で。当時の私にとって、毎日通学する事がどれほど苦痛だったか……そんな状況でも私が不登校にならなかったのは、偏に「社会からドロップアウトしてしまったら、もうどうやって生きていけばいいのか分からなくなる」という惧れが根底にあったからなんだけど。

 

 

社会のレールに従って生きる以外に私は生き方を知らなかったし、一度社会からドロップアウトした後人生を逆転させて成功者になった人の話を耳に挟んだことはあったけど、私にそれを成すだけの気概があるとは思えなかったから。もし私がどん底まで落ちたとしても、私は「仕方ないなぁ」と笑って済ますのだと思う。そして愈々生きていくことすら困難になったら、やっぱり「仕方ないなぁ」って言って死ぬんだろうなぁ。

 

 

話がちょっと脱線したけど、要するに、高校時代の私は自分の容姿を完全に否定していて、自分の顔を世間の目に晒す事を極度に恐れていたのだ。そんな状態から幾分状態がマシになったのは、当時と比べて私の顔がマシになったからに他ならない。女性化とたゆまぬ顔面マッサージの成果である。

 

 

だから、整形して自分の顔がちょっとでも好きになれたなら、それは十分な成果だと言えると思う。私自身、お金に余裕が出来たら整形するつもりだし。

 

 

それでも、醜形恐怖は整形でより綺麗な顔を手に入れれば治るという簡単な病気ではないのだと思う。

 

 

醜形恐怖は、大きく二つの症状に分けられると思う。一つは自分の容姿の否定で、もう一つは「見られる自分」に対する過剰なまでの意識。整形なんかで前者の症状が多少緩和されたとしても、後者の症状が緩和されない限り、醜形恐怖症から逃れることは出来ないだろう。

 

 

「確かに私は綺麗になったけど、もしかしたら、すっごくブスに見えてる瞬間があるんじゃないかな……。今の私、ちゃんと綺麗に見えてる??」(by品川区在住 21歳女…性……?)

 

 

自分の容姿に自信が無かった人間が多少顔を弄っただけで自分の容姿に自信を持てるかといえば、勿論そんな訳はない。少しは綺麗になった自分の顔を見て満足感に浸ったところで、そんなものは自分の容姿に粗を見つけた瞬間即座に吹き飛んでしまうだろう。少しでも自分の顔に不細工に思われる箇所を発見すれば、それが気になって気になって結局整形を繰り返さざるを得なくなると思う。たとえ周りの人間には些細な事に思えても、本人からすればそれは重大な瑕疵なのだ。

 

 

私も母親から何でそんなに自分の容姿を嫌うのかと何度も言われたけど、や、だって全然「完璧」じゃないじゃん。私の顔はまだまだ荒削りだ。お金を対価に修正が可能なら、それをやらない理由は無くない??

 

 

そして、いざ整形をすると決めた際に、忘れてはならない事がある。

 

 

それは、「整形は、理想の自分を実現させるものではない」ということ。

 

 

整形はあくまで、今現在の自分を多少「改良」するものでしかないのだ。醜形恐怖症の人間は概して理想のハードルが高すぎる。そんな空中楼閣なものを目標にしておいて、理想の自分が実現出来ないとか喚く方が烏滸がましいと思う。

 

 

整形は万能ではない。自分の願望が全て押し通せると勘違いするのは危険過ぎる。

 

 

結局、醜形恐怖症を克服するためには、今の自分をある程度自分として受け入れる、つまり「足るを知る」しかないのだろう。

 

 

……ここまで記事を読んで下さった皆さんの中には、こう思う人もあるかも知れない。「なら、お前はどうなんだ」って。「ならお前は、今の自分を受け入れられるのか」って。

 

 

結論から言おう。

 

 

無 理 だ。

 

 

はぁ~~~?? こんな醜い私を受け入れるとかふざけてんの?? ローアングルから自分の顔を見て「あれ、なんかデジャヴ。……あぁ、ドラクエのギガミュータントだわ」なんて思ってしまった私を受け入れろと?? こんなもん私じゃねーんだよ、私はもっともっと綺麗になれる筈なんだよ!! つーか、お前は何でそんなに満足そうに生きてんの?? 私よりブスの癖に!! なのに、何でそんなに幸せそうなの?? そんな顔で恥ずかしいと思わないの?? 本当、信じらんない!!

 

 

……お見苦しい所をお見せして申し訳ない。でも結局、これが私の本音なのだ。

 

 

最近、醜形恐怖症とナルシシズム紙一重なんじゃないかなぁと思うようになった。醜形恐怖症の人間(私含む)って大概、心のどっかで「本当の私はもっと綺麗なはず」とか思ってんだよね、多分。美容や整形だって、「自分をより綺麗にする」というより、「本当の自分に近づく」みたいな意識がどっかにある気がする。何ていうか、確固とした自己イメージを持ってる訳じゃないけど、漠然とした自分の「美のイデア」みたいなものを目指さざるを得ないというか。だから、今の自分を必死に否定しようとする。

 

 

勿論、全ての整形を希望している人間がそう思っている訳ではないだろう。自分のある部分が嫌で嫌で仕方なくて、ただ早くこのコンプレックスを取り除きたいと願っている人間だっているはずだ。

 

 

ただ、そういう人間って多分自分そのものを憎んでいる訳じゃないんだろうなぁ。私みたいな人間は自分の容姿への忌避感が自己否定と結びついているので、多少容姿が改善された所で、苦痛から解放される事はない。

 

 

あと、さっき「漠然とした美のイデア」なんて表現を使ったけど、整形で理想の美を求めている人間って、自分にとってのソレが何なのか具体的にイメージ出来てないんだろうなーと思う。たとえ「○○みたいになりたい!」という思いを抱えてそれを一生懸命整形外科医に訴えた所で、「その理想を自分の顔で実現出来るか、自分の顔をそういう方向に弄って違和感は生じないか」なんて事まで思考が及ぶ訳もないし。

 

 

整形を失敗する原因として、まぁ技術的な失敗もあるんだろうけど、「医者が患者の言うことを聞きすぎる」ことが挙げられたサイトがあった。まぁ女子SPAの高須院長のインタビューなんだけど。その記事から彼の言葉をそのまま引用すると……

 

 

患者さん自ら美容整形手術の陣頭指揮をとっていいことは何もありません。一流ブティックに、自分で起こした型紙を持ち込んで『この通りに作って!』と強要してるようなもの。天下のシャネルだって、『全力は尽くしますけど、奥様のデザインですか……』って絶句するでしょう

 

……と、いうことだそうで。

 

 

私はこの言葉を目にして、至極その通りだなぁと感じたのだった。

 

 

ところで最近、人形のような容姿を目指している人間も多いみたいだね。人間らしさをかなぐり捨てて、端正に整った、儚くて無機的な美に耽溺し、憧れを抱く人々。まぁ私も実はそうなんだけど、じゃあさ、ちょっとお人形さんみたいになった自分の姿を想像してみ?

 

 

出来た?

 

 

無理じゃね?

 

 

たとえ写真の角度や光度や画像加工を駆使して人形っぽく演出してみたとしても、そんな「ズル」なんかで満足できる訳ないしなぁ。

 

 

勿論、世間にはアンジェリカ・ケノヴァや私の大好きな四月さんみたいな凄い……もう凄いとしか言いようがない人もいるけど。大多数の人間は彼女たちのように特別ではない訳で。悲しいけど。

 

 

それでも、自分でもよく分かっていない、或いは実現不可能としか思えない理想を追い求める事を止められない。故に、現在の自分が許容できないのだ。

 

 

それに、そういう人間って容姿によって他人に優劣をつけようとするよね。美しいと思った人間にはメチャクチャ心酔するし、自分より容姿のレベルが低いと判断した人間は容赦なく見下す。

 

 

「幸せなブス」と呼ばれる人間との差って、そういう所なんだろうなぁ。

 

 

私たちは完全にルッキズムの虜になってるけど、「幸せなブス」とか呼ばれる人々って、容姿によって自分や他人を判断してないんだよね。ルッキズムから比較的解放されて、例えば能力とか、人柄とか、そういう項目を重視して人を判断するようになってる。勿論容姿を全く気にしてないって訳じゃないんだろうけど、私らみたいに容姿に執拗に拘泥してランク付けするようなタイプでは決してない。私はルッキズムから解放される方法を知らないから、彼ら、彼女らを見ると単純にすげーなぁと思うし、それが妬ましくもある。

 

 

それに、醜形恐怖症の人間が仮に理想の容姿を手に入れたとしたら、とんでもないナルシストになるだろうなぁと思う。少なくとも私はそうだ。きっとかなり容姿の優れた人間しかマトモに相手にしなくなるだろうし、容姿が劣っていると判断した人間に対しては、そもそも同じ人間として扱うかすら怪しい。結局醜くても美しくても救いようのない人間なんだろうなぁ、私って。まぁ何が悪いって、ルッキズムに取り憑かれてるのが一番悪いんだけど。

 

 

角川ホラー文庫の小説に書いてあったみたいに、全ての人間の顔を認識出来なくなるようにするのが一番いいのかなぁ。知らんけど。

 

 

結局さぁ、美容や整形によって美を追求するのはいいんだけど、大事なのは程々にやるってことで。まぁルッキズムからの解放を謳った所で現実問題無理だろうし、大事なのは足るを知る、言い換えれば「諦める」って事なんだよ。

 

 

そう、程々に。

 

 

中庸 - Wikipedia

 

 

☝ほら、孔子だって似たようなこと言ってるし。アリストテレスだって、メソテースとかいう同じような概念を提唱している。余談だけど、メソテースという言葉は高校時代にプチ流行していた。

 

 

メソテース。うん、いい響きだ。

 

 

私はまだそういう境地にまで達せそうにないけど、ゆくゆくは……まあいいや、整形してから考えy(殴

 

 

最後に、実際に醜形恐怖症の克服に成功した人の記事を紹介しておこうと思う。こんな長々と雑感を書き殴っただけの私の記事よりよっぽど参考になるんじゃなかろうか。

 

 

menhera.jp

 

 

皆さまの人生が、少しでも楽しいものにならんことを。

 

では、また。

 

 

※5/13追記

昨日、私のTLにこんなツイートが流れてきた。

 

 

正直、整形というものを嘗めていた。ここまで変われるものなのか……。整形だけによって自分の「理想」を追求するのは無理だって言ったけど、あれ、これ頑張れば行けるくね……?

 

……私もマジで人形化を目指そうかなぁ。ただ、私はどれだけ自分の姿を変えた所で、自分に満足できる気はしないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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