エピクロスの楽園

折角の人生、楽しく生きようぜ??

LGBT界への憧れと、ムーブメントへの違和感

新宿二丁目は、ずっと私の憧れだった。アンダーグラウンドな非日常が広がる街というイメージが強くて、そういう異端(敢えて異端と断言しておきます)的な文化へと身を投げてみたかったのだ。そしてゆくゆくは、私も彼らの仲間になれたらなって。


だから、上京した私はすぐにネットで情報を集めて、先ずは初めての方でも入りやすいとかいう観光バーに行ってみることにした。ゲイバーなんかだと一見さんお断りな所が多そうだし、それに、先ずはLGBTでも何でもない、ただのノーマル男性として雰囲気を味わってみたかったんだよね。


……で、行ったはいいけど、結局どこにも入れずないまま、新宿三丁目駅へとすごすごと引き返してしまった。店内では常連さんらしき人が思い思いに寛いでいて、そんな空間に単身で突入するのは、私にはちと荷が重かったのだ。


でも、あの街の退廃的な雰囲気はめっちゃ印象的だったなぁ。寂れてきてるとは聞いてたけど、マジで煤けまくってて人通りも少なくて「ここ、本当に新宿??」みたいな。


その暫く後、私は「女の子クラブ」という女装バーを訪れるために再び新宿二丁目を訪れる事になる。女の子クラブについて簡単に説明すると、「客もキャストもみんな女装して交流を楽しもう!」みたいなコンセプトのお店だ。まぁ女装しない男子も、女子だって店には来るけど。一応サイトのリンクを貼っておくので、気になる方はどうぞ。


girls-club.jp


そのお店は路地裏の雑居ビルの4階にあってめっちゃ入りづらくて、入るのを5分くらい躊躇したけど、今回は何とか突入することに成功した。すると、中に広がっていたのはまさに異空間だった。静まりかえっていた外の街とはうらはらに、とてもにぎやかな店内。そのギャップに暫しの間ボーっとしていると、女装したキャストさんがやってきて、私を店内へと案内してくれた。


そこで、私は今までの人生の中で最初で最後の女装を経験した。茶髪ロングのウィッグを被り、出来るだけ普段着っぽい服を選んで(コスプレ衣装とかもあるけど、私が擬態したかったのってあくまで「そこらへんにいそうな女の子」だし)、軽くメイクして鏡の前に立ってみた。


その瞬間、私は決意した。


女装なんて、二度とやんねぇ。


似合わなくても楽しめる人ならいいけど私は無理だ。チグハグ過ぎる私の女装姿は正直直視に耐えなかった。もうフェミニンな女性像を私に投影しようとするのは止めよう。そういうステレオタイプな女性を目指す必要なんてないんだ。それに、純男に可愛さで負けるのは流石に悔しすぎる。私が目指すべきなのは……。そうだ、私、「男装女子」になろう!


なんて「お前何言ってんの?!」とここまで記事を読んで皆さんに総ツッコミをされそうな事を決心した私は、以来、二週間に一回ほど注射針を腕に突き刺されながら、そんな荒唐無稽な目標が達成できるようにと夢想を続けている。


そして、かの有名な東京レインボープライド(以下TRP)。上京してその存在を知った私は狂喜したものだ。こんな素敵なイベントがあるのかと。開催されるその日を今か今かと待ちわび続け、そして当日、積りに積もった期待に胸を膨らませて真っ昼間のうちに会場に突入した私は、それはそれは暇な時間を過ごしたのだった。まぁ何の知り合いもいない人間が単身で行った所でショーをぼけーっと見る事くらいしかする事ないしなぁ。だからクッソ暑い中ひたすらショー見てたけど、何だっけ、あのショーツを大量に頭に被り、振り回し、そして観客席にバラまいてたパフォーマンス集団。私は彼らを見て思ったものだ。


こんなのLGBT関係ねーじゃん。ただの変態の集まりじゃねーか、と。


ただまぁ、最後の方にあったドラァグクイーンのショーは凄く面白かったな。特にミッツ・マングローブさんを生で見れて感激だった。そういえばあの人、私の先輩に当たるんだよね、慶應卒だし。


……こんな感じでLGBTムーブメントにただ浮かれていたのは、私が上京して半年くらいの間だけだった。


何かさぁ、段々うざったくなってきたんだよね、そういうの。私も最初は気合入れてLGBT差別ガーとか言ってたけど、世間が余りにもLGBTLGBT言うもんだから「もうやめてくれ……!」としか思えなくなってきた。ネットの記事なんかを見ても、「当事者」の多くが昨今のLGBTムーブメントをはた迷惑なものだと思ってるみたいだし。私らはただ放っておいてほしいだけなんだけど。そうやって世間の注目を集めてしまうこと自体が嫌だ。


大学の講義でもたまにLGBTに関する話題が出されることがあるんだけど、そんな時明らかに私の方を見てくるやつがいるんだよね。その時の居心地の悪さといったらないわ。そりゃあ私の見た目って明らかに普通じゃねぇだろうけど……。でもまぁ、気になる事自体は仕方ないとは思うんだ。私が嫌なのは、巷にLGBTという言葉が溢れすぎているせいで、その気になるという感情が徒に喚起され続けちゃうことなんだよ。でもLGBTムーブメントそのものが一部の過激派と左翼団体、あと必死にLGBTフレンドリーをアピって支持を得たい(少なくとも、私にはそうとしか思えない)企業その他が結びついて最早宣伝合戦みたいになってる。そしてその規模は年々拡大そていく一方で、一体どういう方向に活動を持っていきたいのか全然分からなくなっちゃってる。


こないだのTRPのパレードで、「安倍やめろ」のプラカードを持った人物が参加して物議を醸した事は記憶に新しい。この件に対して「TRPに政治的な話題を持ち出すな」という批判が結構寄せられたみたいだけど、その批判を「いや、そもそもTRP自体元々LGBT差別に反対する政治的なイベントだし、人権侵害に対するという活動は左翼的なものだから、安倍政権に反対する団体とLGBT活動家の親和性は高いはずだろ」なんてぶった切っていていた記事もあった。私はその記事の意見に概ね賛成なんだけど、だからといって「アベは辞めろ」なんて声高に叫ばれることを容認すべきかと問われると、いや、それは違うんじゃないかって思う。


ちなみに、これがその画像☟
f:id:mackiericam:20180512092356j:plain


TRPを応援するために立憲民主党の枝野さんが駆けつけた。これは別にいいことじゃん。枝野さんの参加自体を非難してる人もいたけど、私は「いや、それただのヘイトじゃね?」って思う。加えて、左翼系の団体も駆けつけてきてパレードに加わった。これも、別に非難するような事じゃないでしょ。「同じリベラル思想を掲げる者として、今回の活動に協賛する」という彼らの主張は、全く理に適っている。


でもさぁ、何で応援に来た癖にやってんのが安倍政権への反対運動なんだよ。本当にTRPを応援したいなら、LGBTへの差別について一緒に反対するってのが筋じゃねーか。結局LGBTの活動の場を借りて自分たちのやりたい事やってるだけじゃん。


連帯する気がないなら来んな。


ただそれだけの話なのだと思う。


ちなみに、「もうLGBTなんて言うんじゃねぇ、放っておいてくれ」という立場の私だけど、TRPに対してはあまり忌避感は抱いていない。今年のTRPだって、「よし、東京ゲゲゲイ見に行くか」くらいの感覚しかなかったし。結局行かなかったけど。TRPが政治的な意味合いを帯びているとは言ったし、建前上はそうなんだろうけど、でも実際の感覚としては単なるお祭りって感じ。だから、そこに政治やらビジネスやらをモロに持ち込まれると不快感を感じてしまうのはよく分かる。


あと、Buzzfeedのこの記事。


https://www.buzzfeed.com/jp/shunsukemori/hutsuunandakke?utm_term=.ycqOvrdv8#.araEZNDZBwww.buzzfeed.com


この記事を読んで、私は不快感しか感じなかったんだよね。だってこういう事書かせるって事は、「シスヘテロこそが普通である」というイデオロギーを裏で認めてるって事でしょ?? まぁそういうイデオロギーへのアンチテーゼとして書かれたものではあるんだろうけど、そもそも「普通」とか「普通じゃない」とかいちいち主張する必要がある訳??


まぁ、難しい問題だとは思うけどね、これ。人によって考えてる事は全然違うだろうし。私は自分が普通であるなんて毛ほども思ってないし、普通になりたいとも思ってない。どうにも溶け込めないメインストリームから遠ざかって、ひっそりと暮らしている方がずっと楽だ。なのに、わざわざメインストリームまで出かけて行って「普通とか(笑)」なんていう意味って何?? それ、ただの目立ちたがり屋としか思えないんだけど。


でも、「普通になりたい」と思ってる人だっていっぱいいる訳で。例えば、私と同じMtF(男から女へ性転換する人のこと。私は普段自分の事ニューハーフとか言ってるけど、そっちの方が分かりやすいから自虐的にそう言ってるだけで、本当はMtFと名乗る方が相応しい。私、別に水商売とかやってる訳じゃないから)でも、男女二元論に拘泥して、「普通の女性」になる事を強く望んでいる人だっていっぱいいる。そういう人たちにとって、この記事は救いになるのかねぇ。


というわけで、この記事に関しては「私は嫌だけど……」と吐き捨てておくだけにします。あとは皆さん自身でお考え下さい(丸投げ)。


んで。


TRPに関しては、ファミリーでの来場なんかも増えてるみたいだし、「どんな人間であろうと関係なく、兎に角みんなで楽盛り上がろう!」的な方向に完全にシフトすればいいのになぁと私は思う。パレード前の土曜日に関しては、だけど。政治とかビジネスとかやりたいならパレードの時にやれば良くない?? 土曜日はそういう余計な事は忘れて、楽しむことに全力を尽くそうぜ?? たとえストレートだろうとゲイだろうと大人だろうと子供だろうと日本人だろうと外国人だろうと右翼だろうと左翼だろうと、普段内輪揉めばっかやってるMtFだろうと、この日だけはみーんなただの同じ人間として、仲間として、同じ時を過ごせる日になればいいのになぁと、私は勝手に思っている。パレードについては知らん。


と、ここまで書いてから気づいたんだけど、私は別にLGBTについて言及されること自体が嫌な訳じゃないんだなぁ。ただ、LGBTという存在が一概に「可哀そうなもの、救済すべきもの」として扱われることが嫌なんだと思う。そうやってLGBTが「被差別者」として対象化されることによって、まるでLGBTがそれ以外の人間とは明確に異なる存在であるかのように錯覚してしまう。

LGBTというカテゴリに含まれる人間の中で、LGBTとして扱われたいと思っている人がどれほどいることやら。そうやって安易にカテゴライズされることを望まない人の方がよっぽど多いと思うけど。LGBTという概念がセクマイを包括しないとかいってLGBTsと表現を若干変えてみたところで「いや、そういう事じゃねーよ」って思うし、ここ数年で聞くようになったSOGI(性的指向性自認を纏めて表す用語。あくまで「自分はこういう人間だ」ということを表すものであり、LGBTの代替語というわけではない)という言葉に対しても、やっぱりもやっとしたものを感じる。それは多分、私が性的指向なんてとりたてて主張するようなものではないと思っているからだと思う。「全員が性的な在り方について当事者意識を持てる」って言うけど、そんなとりたてて意識するようなものでもねーだろ実際。「俺、実はゲイなんだよね」「そうなのか……。俺もずっと黙ってたけど、元々は女だったんだ」「マジか」「マジだ」みたいにサラッと済ませれば良くね??


「全員が当事者意識を持つ」より、「全員がわざわざそんな意識を持たなくて済むような社会にする」方が望ましいと私は思う。まぁ、「SOGIハラって便利な単語だよなぁ」とは思うけど。


それじゃ、今回はこのへんで記事を終わらせて頂くとしよう。


皆さまの人生が、少しでも楽しいものにならんことを。


では、また。













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