エピクロスの楽園

折角の人生、楽しく生きようぜ??

27歳元トランス社畜リーマン俺

地獄みたいなタイトルだけどこれが俺でーす。

 

ここ数年所謂LGBT界隈がなんだか騒がしいしトランス反トランスでギャーギャー言い合ってんのに辟易して自分をトランスだと思うことすら嫌になってたけど、そろそろ自分が何者なのかよく分かんなくなってきたから記事書きます。この記事で俺を定義しないと段々生活から現実感が少しずつ溶け出ていって気が狂いそうなので。既にだいぶ怪しいけど。

 

で、俺って何だろうな。肩書きだけ言うと数年間女ホルもりもり食ってタマ取った後トランスをやめて普通にサラリーマンとして生きるジェンダーたけど、俺は自分が女だなんて毛ほども思ってねぇし。や、でも久々に使ったな、「俺」なんて一人称。以降は私って言うか? 私って言うか。

 

昔と比べると自分の中の男性性はすんなり受け入れられるようになったなぁと思う。反面自分を女らしく装うのも気持ち悪くなってきたな。まぁサラリーマンとして生きてるからな、今となっては何事もなく男埋没するのが一番生きやすいなと思う。自分か何者かとか別にどうでもいいや。それより半月くらい有給欲しい。

 

でも、数年前はトランスもSRSやって整形して女性戸籍を取得すれば染色体は違えど女性としての生活は手に出来るだろなんて漠然と思ってたけど、そういう埋没たちの静かな平穏って最近無茶苦茶に引っ掻き回されてる感あるよね。女移行したいGD(性別違和)当事者の苦悩みたいなのはトランスの言説からほっぽり出されて、女装して女のテリトリーにズカズカ踏み込む変態キモオヤジとトランスジェンダリズムを女性への侵害だと捉えるフェミニスト仁義なき戦いみたくなってきてる。

 

欧米だと不細工なトランスジェンダー黒人女性にプロモデルが活躍の場を奪われたとか女性のスポーツ大会にトランスジェンダーが出場してメダルを総ナメにしたとか、なんかそんな話ばっかりが入ってくる。そんなんだからトランスジェンダリズムそのものに嫌気が差してくるのもまぁ当然の成り行きでしょ。ただでさえ男と女の生物的隔たりに絶望してたのにどんだけハードル上げるんだよ。

 

でも男の娘や女装男子はどんどんメジャーな存在になってきている気はしている。ただ女装とかってあくまで非日常という扱いだったり、あくまで対象が"男"であるという建前が強調されたりしてて、あくまでと主義主張としてのトランスジェンダリズムとは距離をおこうという態度がわりとあからさまに出されている気がする。まぁめんどくさいもんね。今いろいろ煩いし。

 

そういえば少し前、ギルティーギアのブリジットの性自認が男か女かでバチバチやってたなぁ。欧米人からしたら性自認は男なのに女装するという行為ら意味が分からないらしい。欧米はポリコレが激しいらしいけど、シスジェンダーにしよトランスジェンダーにしろ性別二元論に強固に支配されてんだろうなあと思う。知らんけど。

 

私はというと、性別二元論が嫌というか、「性別、めんどくせ〜〜〜」という虚脱感に身体の7割を侵食されている。男とか女とか、そういう生物学的な性差は生まれた段階で外科的にとっぱらっちまえばいいのに。どうさ少子化なんだから、子供は培養槽で生産するかロボットに置き換えるかしてさ。

 

何も考えたくない。何も考えたくないなー、自分が何者かぜんぜん分からなくなってきたから記事書きますと嘯いてこの結論か。でもそういうこと考えるのってほんと面倒臭いな。自分が何者か考えを巡らせようとするたびに脳裏ににしめくネットの住民たちが顔真っ赤にして反論してくるから嫌だ。本当ただただ邪魔なだけだなお前ら。

 

自分の欲求って何だろうな。それを形にしようとするたびに自分の中で反対意見ばかりが湧き出てきて全然まとまんないな。とりあえず今の私はそこまで生きづらくはない。仕事は決して楽ではないけどそれはまた別の話だ。

 

まぁそうやってサラリーマンとして埋没してフツーに生きてる私だけど、元トランスという身分のせいで不自由さは色々感じている。具体的には、若干胸があるため普段からナベシャツで胸を潰して生きている。正直胸があるといっても大した大きさではないからナベシャツで呼吸にハンデを課さなくても特段問題はない気がするけど、トランス移行初期にオカマだと笑われた経験がトラウマのためナベシャツがないと外を出歩けない。

 

あと健康診断や病院で困る。「何か下着着てるんですか……」.と不審そうに聞かれる度に何食わぬ顔で「はい」と答えるし、聴診器をあてるために服を捲り上げられても「まぁ、それが医療だしね」と涼しい顔を装ってはいるが、内心普通の男におっぱいがついている気持ち悪さが外気にさらけ出せる屈辱を必死に噛み殺している。

 

ただ、そんな窮屈さと屈辱を加味しても、かつてトランスに踏み切ったことに微塵も後悔はない。男ジェンダーで生きることに適合できたのは、トランスによって自分の中から男としての性欲や男らしさを追い出せたからだからだ。まぁだいぶ珍妙な生き物にはなっちまったけど、そうやって強制的に自己の身体をメインストリームからはじき出すことで私は自己のアイデンティティを保護することで、クソ尊大な自意識に振り回され続けた思春期をなんとか乗り越えることが出来たんだろうなぁ。

 

響きがキャッチーだから記事のタイトルに「27歳元トランス社畜リーマン俺」なんて設定してみたけど、この言葉で私の存在をうまく説明出来ている気はしない。かと言って他に美味い標題も思いつかない。自分が何者なのかは分からないし、それはきっと生涯同じだろうけど、それでも私は私だから

 

何者でもないからこそ私なんだろうなぁという、そんな矛盾をアイデンティティに明日も残業頑張りまーす。

 

だから今日はもう、おやすみ。