エピクロスの楽園

折角の人生、楽しく生きようぜ??

私が旅する目的

旅の目的っていうのは、人によってメチャクチャ千差万別らしい。

 

たとえば私のTwitterだと、毎週のようにノスタルジックな街並みを放浪しては収鋲している人(ほんと何の仕事してんだろ)、暗渠や遊郭といった特定の分野を専門に日々研究を続けている人など、日々いろんな人たちのツイートがピヨピヨ流れてくる。

 

後は別にTwitterに限らずとも、旅行先の旅館に缶詰になって観光そっちのけで創作に勤しむ『原稿合宿プラン』、はたまたゆる言語ラジオで言うところの『インプット奴隷合宿』など、旅行と呼んでよいかよく分からないホテル内完結型旅行プランも最近は存在するらしい。実に多様性の時代だね。

 

なら、私が旅する目的って一体何なんだろう? 普段は「違う街の雰囲気を味わいたくて」とか「放浪って、いいよね」とかそれっぽいこと言って誤魔化しがちだけど、はっきり言語化出来るだけの目的は持ってんのかな、私。

 

昔はマジで、旅行に対して特別な意義を見出していた訳ではなかったと思うよ。私も小さい頃家族旅行に何度か言った事があるけど(大抵長崎だった。平戸とか島原とか)、あんまり楽しかった記憶がないんだよなぁ。別に動物園や水族館みたいな場所はそんなに好きじゃなかったしね。今となっては、楽しみ方を知らなかっただけな気はするけど。

 

でも、探検は大好きだった。住んでいた村の知らない山道や獣道に入り込んでは、だんだん山が怖くなってきて家や大通りに半泣きで逃げ帰っていた記憶がある。じゃあ何で怖いくせにそんな事を繰り返していたかっていうと、ただ未知を既知に変えたいという漠然とした欲求というか。知らないところを歩くことで、自分の領域が少しずつ拡大してゆく感覚がなんか気持ちよかっただけだったんだ。日記帳の最後のページに自作の地図書いたりもしてたなぁ……

 

そう、十五少年漂流記みたいにね。

 

日本の小説を全て駄作と決めつけて自分の世界から排除し続けていた小学生時代、私はロビンソン・クルーソーとか神秘島物語みたいなサバイバル小説にどっぷりハマり込んでいた。特に十五少年漂流記は大のお気に入りで、小5の国語の授業で短編を書いた際、この小説を大いに参考にさせていただいた記憶がある。

 

十五少年漂流記はその名の通り、15人の少年(正確に言えば16人だが、1人は奴隷なので人数としてカウントされていない。時代だ…)が無人島に流れ着いてサバイバルを行う、ジュール・ヴェルヌ作の冒険小説だ。まぁあんまり細かな内容は覚えてないんだけど、この小説には、子供たちが島を探検してはいろんな場所に名前をつけて、地図を完成させてゆくという描写があるのだ。「この森に落とし穴掘ったから、ここはおとしあなの森ってことにしようぜ」とか、「リーダーの出身国はアメリカだから、この岬はアメリカ岬と名付けよう」とか、そんなノリで。

 

小さい男の子ってだいたい秘密基地に憧れるものらしいけど。このマッピングと名付けは特に、なんというか……秘密基地製作の正統進化系みたいで、すっごくキラキラして見えたんだ。

 

私の旅行趣味の原点はたぶんこれ、『既知領域の拡張』なんじゃないかと思う。

 

ただ、昔の私は外の世界にあまり関心が無かった。たとえば同じ村の中とか、時たま買い物に行く隣町みたいな生活圏内は結構丹念に探索していたけれど、「よし、今日は普段の生活圏を飛び出して、見知らぬ街に出かけよう!」みたいなマインドには全くならなかったのだ。ていうか、自分の生活圏内から飛び出そうという発想が全く出てこなかった。いつの間にか私のセカイはカッチリ決まっていて、知ぬまでこのままなんだろうなぁって漠然と思ってたんだ。

 

それが明確に変わったきっかけは、上京だった。

 

正確に言えば、私が今まで抱いていた「東京ってこんな街だよね」というイメージが完膚無きまでに破壊されたことが原因だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そもそも狭いセカイに知らず知らずのうちに囚われていた私が上京を決意したのは、某予備校教師の言葉がきっかけだった。「狭い世界に籠らずに、一度広い世界を見ときや? その後に自分がどうするか決めや」みたいな言葉だったと思う。私はなんかその言葉にものすっごい感化されて、親に何も告げないまま志望を慶應に変えたのだった。

 

でも、それまで東京への憧れみたいもなものを感じたことはなかった。別に。上京前の私の東京に対するイメージは渋谷のスクランブル交差点と品川駅の2つに集約されていたし、それ以外の場所なんて全く知らなかった。横浜や新宿は地名くらいは知っていたけど、実際にどんな街並みが広がっているか、なんてぜーんぜん知らなかったし興味もなかった。ただ、「就職で東京行くのは大変そうだし、東京行くなら今じゃね?」みたいなノリで漠然と決めただけだったと思う。

 

そんなこんなで慶應文の試験を受けるために上京して泊まった横浜は、そんな「東京像」に合致している、いや、それを遥かに凌駕する大都会だった。大都会と言えば熊本の下通だった私にとって、夜の横浜の煌びやかさは現実とは到底思えないレベルだったのだ。まだ金持ちだった伯父の支払いで横浜駅前のベイシェラトンホテルに止まり、その豪華さに度肝を抜かれた。そしてベイシェラトンホテルの地下が横浜の地下街に繋がっている事に気付き、その広さに唖然とした。

 

東京を知らなかった私は、一夜で東京に酔ってしまったのだ。

 

それがどうだ。慶應に合格した後、契約した学生用アパートのある下丸子に降り立った私の前に広がっていたのは、想像を遥かに下回るクソしょぼい街並みだった。私が高校時代使っていた肥後大津の方がよっぽど立派では? と思える簡素な相対式ホームの駅。駅横には廃墟にしか見えないツタまみれの定食屋。高層ビルもなければスタバもない。ていうか全然車通りがない。

 

「そういえば、横浜は厳密に言えば東京じゃなくて神奈川だったっけ。もしかすると、本当に都会なのは東京じゃなくて神奈川で、東京ってこんなもんなのか……???」

 

そんな、頓珍漢な事を思いつつ。

 

東京には渋谷や品川みたいなでっかいビルがどこまでも広がっているものだと思っていた私のアッサイ東京像は、こうしてアッサリ崩壊した。

 

なら、気になるじゃん? 実際の東京ってのがどんな場所なのか。

 

丁度過食症を拗らせていた私は、摂取したカロリーを消費する目的もあり、東京中を歩き回った。下丸子、川崎、銀座に東村山まで、まるで狂ったように歩き続けた。そうすると、私が思っていた東京像に合致する渋谷や品川のような大都会は確かにあるけど、東京全体のほんの一部に過ぎないんじゃね? ということ事に気付く。そして、渋谷や銀座のような大都会でも、ちょっと脇に入るとオンボロな建物が平然と広がっていることも。

 

「これは、なんだ……? これが、東京のリアルなのか……!」

 

初めは驚くだけだった私も、徐々にそうした古い街並みの虜になってゆく。もっと他に、同じような街並みはないのか。もっと。もっと……

 

そうして色んなサイトを調べまくった際、ある有名サイトに流れ着いた。それは、何年か前に「首都圏住みたくない街」という表紙の色も内容も毒物みたいなサブカル本を出版した、三流ゴシップ紙を彷彿とさせる毒舌と偏見に定評のある街歩きサイト。そう、東京DEEP案内だったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さっきはボロカスに書いたけど、東京DEEP案内から街歩きにハマった人間は案外多い気がする。先程例に挙げたノスタルジックな街並みを放浪しては収鋲しているフォロイーもそうっぽかったし。でも、東京DEEP案内はお世辞にもいいサイトと呼べるものではない。まぁゴシップ紙に近いやつだし。

 

でも当時の私は、このサイトにドップリと、それはそれはズッポリとハマり込んだ。毒と皮肉で彩られた文体はとても新鮮だったし、街の簡単な歴史な成り立ちも書いてあったし、なにせ情報量がすごかった。今調べてみたら、どうやら記事数だけで1340くらいあるらしい(2023年5月7日現在)。

 

今まで漠然とした目的で旅行や散歩を繰り返してきた私は、ここでついて明確な目的を得た。そう、街のオンボロい建物や寂れた商店街を撮影し、ケチョンケチョンにこき下ろす事である!

 

ケチョンケチョンに、こき下ろす事である!!

 

正直これは黒歴史だが、目的を得た私は授業とバイト以外の時間を「色んな街の悪いとこ探し」に費やすことになる。多分、当時の私の写真フォルダは大半がボロボロの建物と寂れた商店街、後はゲロ渋いスナックの写真で埋まっていたと思う。それを写真保存用のTwitter垢に纏めてアップロードしては手酷いコメントをつけていた気がする、まぁ気になる人は"@slaughtdoll"で検索してみればいいと思うよ。

 

だが、これも徐々に飽きてきた。オンボロい建物や寂れた商店街は、東京に余りにもありふれていたのである。ただ、そうやって色んな東京の街を巡り続けているうちに、それぞれの街の街並みや商店街の違いが気になってきた。

 

東京にはどうやら、沿線文化というものがあるらしい。例えばサブカル文化が色濃く根付く(と言われる)中央線。下町だけどなんかオシャレで居心地のいい(と自分では思っている)東急線。乗り換えが微妙に不便で高架化も地下化もされず、「中央線に住みたいけど家賃が高くて住めない貧乏人が中央線の代わりに住む路線(by東京DEEP案内)」としてグダグダな街並みを晒している西武新宿線

 

歩いてみると、確かに路線によって全然街並みが違うし、同じ路線の街には似たような雰囲気を感じた。道路の色とか該当とか、あと並んでいるチェーン店の顔ぶれとか?

 

出身地の熊本では、このような現象は見られなかった。街の発展と鉄道駅の存在がそんなに相関していないからだ。新しく発展するのはロードサイドや郊外の大規模店舗の近くだし(光の森やダイヤモンドシティクレアとか)、県下一の繁華街である下通も、鉄道駅から2~3kmは離れている。熊本駅はめっちゃしょぼいし、駅前にある北予備に通うまで、熊本駅は記憶している限り1度しか使った事がなかった。

 

なのに何故、東京では路線ごとに街の雰囲気がハッキリ分かれるのだろう? 一体何が、この沿線文化を生み出しているのだろう??

 

私は、そのような疑問を抱えるようになった。

 

また同時に、私は街の風俗街、特に昔ながらのスナック街に強く惹き付けられるようになっていった。廃墟か営業中なのかよく分からない、蹴れば崩れそうなスナックが犇めく淫靡な街並み。元々廃墟好きだった私だが、特にスナック街には独特なエロティシズムを感じた。オンボロな建物を嬉々として撮るのをやめてからも、スナック街だけはiPhoneを構えてひたすら撮り続けた。

 

そうしているうちに、そうしたスナック街は、かつての赤線地帯だった場所に形成される事を知った。調べてみると、どうやら赤線地とは、かつての合法売春地帯のことらしい。

 

合法な売春地帯。まさか、日本にそんなものがあったなんて!

 

俄然赤線に対して興味が湧いた私は、赤線、そして遊郭について、強い興味を持つようになっていった。

 

そんな大学2年生の夏、私は大学の専攻の合宿で長野に行く事になった。先輩たちの卒論発表をひたすら傾聴するだけの退屈な合宿である。それにコミュ障の私に友達はいない。退屈な合宿になるのは分かりきっていた。

 

そんな合宿に行くためだけに、わざわざ長野に行くのは癪だなと思った。

 

だから、私は決意してた。合宿後、そのまま新潟方面に向かって旅行に行くことを。

 

今まで東京近郊で完結していた私の活動範囲が、ついに東京外へと広がった瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか長くなったので、続きは後編に分けます。

 

皆様の人生は、少しでも楽しいものにならんことを。


では。