エピクロスの楽園

折角の人生、楽しく生きようぜ??

就活の失敗とその言い訳


(2019.09.11 小諸)


能動的に何かをした事なんて何も無かった、私の日常はほぼ全て母親によって規定されていた。小さい頃の私は今と違ってとても明るい子供だったらしい、けれど小学4年生に上がる頃には、私は今のようなコンプレックスと虚無に支配された存在に成り下がっていた。


「程々に手を抜く」癖がついたのはいつからだろう? 学校の授業は死ぬほど退屈だし(そもそも小学校如きで習う内容など授業でやる前からほぼ知っていた)、親から課された4つの習い事はなんとなくやらされているだけで、頑張ろうなんて微塵も思った事が無かった。そういう母の過干渉が今の私を産んだのだろうと思うが、今となっては外部の干渉無しには存在を構成出来ないので「面倒見るなら最後までちゃんと見ろよ」とか思っている。


高校時代、私の部活に「いい子」のお手本のような後輩が入って来た。親の決めた高校に入り親の決めた塾へ通い、結局は親の勧告により突然部活をやめて行った。そんな「いい子」の事を私は哀れに思うと当時に、「私はあんな奴らとは違うんだ、私はいい子じゃないんだ」という気概を持っていた。でも結局、私と彼は同じ穴のムシロなのだろうな、と思う。


「いい子」である事を否定しながら、私は結局「いい子」である事から逸脱出来なかった。そうして受動的な人生をなんとなーく送ってきて、今。私は社会へと踏み出す動力を持たないまま、ただぼんやりと、自分の人生が殺される時を待っている。













西尾維新の「戯言シリーズ」の主人公、通称いっくんは、物語の中で自分の事を「欠陥製品」と称していた。中学時代厨二真っ盛りであった私は、平凡そうな容貌の癖して実は超弩級の異常性を内包した彼に憧れ、彼の真似して自分の事を「欠陥製品」なんて呼んだりしていた。


欠陥製品。要するに、精神や身体の何処かに大きな瑕疵を抱え、通常の「ニンゲン」に成れなかった存在。


私はずっと非日常に焦がれていた。異端でありたいという欲求とクソゲーな世界に鬱屈した感情は、私をいっぱしのメンヘラとして覚醒させるに至る。でも私には別に、これといったトラウマは無い。特別貧乏な家庭に生まれた訳でもなく、充分親に愛され、何ら窮地を経験した訳でもない「恵まれた」人間。そんな私が、虐待その他多くのトラウマを抱えがちな人間が多い「メンヘラ」という属性を背負う正当性などないように思えた。


それでも、私はメンヘラである事に固執していた。なぜなら、社会に対する絶望を、溢れ出る自己嫌悪と承認欲求を、「メンヘラ」というレッテルに押し込む事で少しでも楽になりなかったからだ。レッテル貼りはとても便利な方法だと私は思う。自分に対しても、或いは相手に対しても、ある程度類型化されたレッテルを貼り付けて分類することで、私たちは自分たちの存在を担保し、また相手の存在を規定する。


なら、私はどうすればメンヘラ足り得るのだろうか? そう考えた時、一番簡単なのは自分を「欠陥製品」であると規定する事だった。生まれた瞬間から私には重大な欠陥があるのだから。その過程は、誕生後修繕するには余りに致命的だから。だから、私はおかしくて当たり前なんだ。普通でいられないのが「普通」なんだ。


「女になりたい」という欲求はたぶん、その重大な欠陥の具体例として、私自らが作り出した「嘘」なのではないかと思っている。元から望んだ性別で生まれてきた訳ではないから、とどうにも覆しようのない欠陥を用意する事で、自分が満ち足りた存在となる未来を完膚なきまでに破壊した。勿論その「嘘」の元となるような要因……男扱いされる事への嫌悪みたいなのはあったけど、その漠然した嫌悪を「女になりたいけどなれない自分」という埋めようのない欠陥へと昇華させたのは、紛れもなく自分自身の意思だと思っている。


まー別にそれが正しいのかは解んないけどさぁ、私は私自身の不満や絶望を沈静化するために自分の人格を変な方向へ捻じ曲げようとする癖があるから強ち間違いではないんじゃないかなって。例えば、本当は滅茶苦茶寂しがりやで一緒に盛り上がれる友達さえいれば楽しい生活が送れると解っていても、対人恐怖とコミュ難と向き合えなくて「一人でいる事が平気な人間になろう!」と謎の努力を今の今まで続けていたりとか。


……自分が面倒臭い人間であるという自覚はあるよ? 実際、ちょっとか関わりのあった同級生に「お前、面倒臭い彼女みたいだな」なんて言われた事もあるし。で、そんな面倒臭い自分が嫌で自分を律しているうちに、私はより面倒臭い人間へと変容してゆく訳で。まさに人格のデフレ・スパイラルってやつだね。なるほど、怪物と呼ばれるってこうやって誕生するんだろうな。


……まぁそんな私が、就活など成功する筈もなかったよね。


最近、私は母と頻繁に衝突するようになった。理由は言わずもがな、就活の失敗なんだけど。まぁ一応就活は続けてはいるけれど、もう失敗と断言するしかないと思う。元々私の就活に対するモチベーションは極低で、3月頃のエントリー期間では数社にしか出していなかったし、正直そこに受かる気もあんまり無かったんだけどさ。


逃げたい気持ちを押し殺して数日かけて何とかエントリーシートを書き上げやっとの思いで提出したけど、結局三社に落とされ一社は恐らく提出に失敗。受かった一社も結局一次面接で落とされた。正直、私は落とされて安心してたんだ。「これで面倒臭い就活を続けずに済む」ってね。今思えば余りにアホな思考だなって思うけど、まぁ他の人みたいに十社も二十社も応募していた所で、受かる企業は一つも無かっただろうね。


だって最初から、私は就活というものを真剣に取り組む気なんぞ更々無かったし。小さい頃から志望していた出版社やテレビ会社に幾つかエントリーしてみたけれど、マジで受かる気なんて毛頭無かった。ていうかみんな何で就活如きに熱心になれるの? 自分の将来なんてどーでも良くない?? みんなクローンみたいに画一的なガワ被って説明会や面接に殺到して、一体それの何が面白いと言うんだい??


「いや、お前は社会を舐め過ぎだ」と母は言うし実際その通りだとは思うけど、「就活ガンバロー!」というモチベーションはどう足掻いても湧いて来ないので仕方ないじゃん。一応知り合いのコネでそこそこいい企業に紹介されはしたけど、自分のような社会性もやる気もない人間がのうのうと入社するのも申し訳なくて、もたもたしてるうちに結局今年の内定者が全て決まって話は立ち消えになった。正直とてもホッとしたなぁ。


そんな状態で内定を貰える筈もなく、数多の企業が募集を締切る中、私は今日までズルズルと就活を続けている、という次第。


何処かに就職したいという思いはまだ無いし、正直今ダラダラ面接などに行き続けているのも「一応、就活やってるんですよ?」というポーズに過ぎない。勿論それでは将来が大変な状態になる事は分かっていたけれど、「いや、だから何?」という感想しか湧いて来ない。このまま就職した所で、私は現在の自分を受け入れず鬱憤を沸沸と滾らせたままひっそり死んでゆくだけなんだろうな。どーせそんな人生を送るくらいならば、今死んだ方がよっぽどマシじゃない??


この前、私のフォロワーさんが自殺したんだ。じごせくさん、という方で、時折ネットなどに創作漫画を上げていらっしゃった方なんだけど。彼女のシュールな画風が好きで時折漫画を見てたんだけど、彼女の前垢の凍結後、彼女が作ったdiscordのグループへの参加(へらへらとめんへらっていう名前のやつ)を通じて、僅かながら関わりを持つようになってて。


ツイートが途切れるまで40分程、彼女はTwitterやdiscordに呟きを載せてた。discordに入った通知で私はその事を知ったんだけど、まあ……いきなりで驚いたし、画面の向こうで人が死に向かっているというのに余りに現実感が無くて震えたよ。やがて彼女の呟きは途切れ、グループチャットは「おやすみ」という言葉で埋めつくされていった。次の日、彼女の家族が訃報を伝え、彼女の死は確定したんだ……。


自殺は人の自由だし、私にそれを止める権利は無いけど(自殺して遺族を悲しませていいのか、という意見もあるだろうけど、私は「会社を辞める人間が辞めた後会社に生じる損害の責任を負う必要はない」と同じ理論でその意見に反対している)。かと言って彼女が自殺するのをスルーしていいものかと結構悩んだ。悩んだ末、私も皆に倣って「おやすみ」という言葉だけ贈ったけど、それが適切だったのかは私には分からない。ただ彼女は悩みに悩んだ末、自殺するという決断を下したのだろうし、その決断に対して私が出来る事と言えば、せめて苦しまずに逝く事を願うだけなのかな、とは思った。


……次に貼るのは、彼女が亡くなる直前に呟いたツイート群の中の一つだ。



このツイート、私が日頃考えている事と結構似ててドキッとした。この先生きていたところでどうしようもない、そんな漠然とした諦観に私も常に支配され続けているし、きっとそれは死ぬ瞬間まで変わらないのだろうなと思う。


「このままでは嫌だ。私はちゃんと自分の人生を活用したい!!」


最近になって、私はそんな漠然とした欲求に身を焦がされるようになった。死にたいという言葉は際限なく吐き捨ててはいるけれど、私はまだ彼女のように自殺を決行する勇気はない。でもこのまま何もねぇ人生をダラダラ送ってゆくだけってのはマジで嫌だ。


休学したいな、と最近ふと思うようになった。卒論の重圧が凄いのもあるけど、このままどっかの知らん企業に受かって入った所で心すり減らして自分の人生を恨んだまま老いてゆくしかないんだろうなーとか考えたらもう堪んなくて。だから、就職するためにせめてナニカに挑戦したい。ナニカを成し遂げたい。


それを邪魔するのは、「親に逆らいたくない、これ以上負担をかけたくない」という意識だ。


まぁ私が歪んだ原因のかなりのウェイトを親が占めているのは確かだと思うけど、私も親に多量の心労をかけているのは確かなのでどうにも頭が上がらない。特に私が何の相談もなく性転換に踏み切ったせいで色々と揉めたし、私が余りに適当で何もしない所か折角のチャンスは自分で潰して回るし将来のビジョンも皆無だしで現在進行形で揉めまくっている。だからこれ以上負担かけるのも申し訳ないし、冗談めかして言っている「休学」、実は結構本気なんだと言えないまま時間だけが過ぎている。


ただ問題なのは、休学した後の具体的なビジョンが皆無な事と、休学した所で私が満足する可能性は限りなく低いということ。仮に長期インターンなんてやってみた所で、結局「きついなー、きついなー」とぼやきつつ一年を終える未来しか見えないんだよね。


社会に出たくないのだ。どうしても、どうしても。それを甘えだと罵られても否定は出来ない、でもこのまま虚しさだけ抱えて行き続ける事には絶望しかない。


グレておけば良かったのかな、と今は思う。自分を、学校を、そして面白いコンテンツ以外の全てを憎みながら23年間生きて来たけれど、結局私は一度も「道を外れる」事は無かった。きっと、私は一度レールから外れたら二度と戻れないだろうと思っていたから。


今後どうするか、その答えは依然として保留のままだ。もうどうにでもなれと。どーせ放っておけば、何れなるようになるだろうと。取り敢えず無為な日々を送る事だけは嫌だから何かやるけど、それが何か利益になるかーなんて皆目分かりゃしない。


三ヶ月程前、私は居酒屋のバイトを始めた。居酒屋に決めた理由は私が酒に目が無いからと、社会に出る前に人慣れしないとヤバいと思ったから。このままでは自分がどんどん拗らせてゆくだけなのは目に見えていた。私は元来向上心皆無で進歩を嫌う人間ではあるが、俗に言う「無敵の人」と化すのは流石に嫌だったので、最低限の手は打っておく事にしたのだ。


ホールで接客を始めたばかりの頃、私は居酒屋バイトを選んで良かったと思っていた。元々居酒屋という空間は大好きなのだ、特に私のバイト先は大衆居酒屋ではなく、そこそこ値の張る店なので客層も雰囲気もいい。でもすぐに、私は様々な壁にぶつかる事となった。その壁に関してはここでは述べない。でも正直、そろそろ心が折れかけてきた。このままリタイアしてたまるかという意地はあるけど、私が接客業に向いていないという事は嫌という程自覚している。……それでも、「辞めたい」の一言がどうしても言えないんだけどさ。


ただ、「何もせず全てを諦める」事だけはしたくないなぁと思う。安寧と退屈は私にとっては純然たる悪だ。尊敬するARuFaさんが散々「虚無」とか「カラッポ」とか「面白コンテンツの詰まった麻袋」とか言われながらもひたすらオモロを追求し続けているように、私も色んな場所に出向き、文章という媒体で情報を発信するという行為だけは続けてゆこう。


じごせくさんはかけるコストに結構拘ってたみたいだけど、私はコストに対する拘りはほぼ無い。だってどうせ私の人生なんて何の価値もねーんだし、価値のねぇモノを幾ら浪費した所でねぇ。ただ、そうやって浪費を続けながら自分の納得出来るナニカを生み出したいとは思ってるし、そうしないと今後人生を続けてゆく意味は無いよねぇ。


自分の人生、もっと燃え上がらせたいよね。ズルズル長生きするくらいなら、十年くらいデッカい事をボガンとやってからポックリ死ぬ方がよっぽどマシだ。私自身はどうしようもないクズだとしても、そんな私が何か輝くモノをこの世界にリリース出来たら、私の生も少しは肯定出来るようになるんじゃないかな。


皆さまの人生が、少しでも楽しいものにならんことを。


では、また。













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